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映画『パラサイト〜半地下の家族〜』を観て、コンテンツの「抑制」について唸るほど考えさせられた。《作品解析/パルス・オブ・アーツvol.001》(*ネタバレはしてません、きっと)

映画が終わり、エンドロールが終わる。
映画館の電気が灯される。

僕は、この瞬間を待っていた。

聞き耳を立てて、そして、周囲の観客の表情を必死で読み取る。

すぐに後ろの若いカップルの会話が聞こえてくる。

男性のほうがこう言う。

「あと、30分、短くできたと思うんだよねー。なんかなー」

それに対して、女性のほうが食ってかかるように言う。

「いや、最高だったよ! 最近観た中でも、最高の作品だったよ!」

なるほど、と僕は思う。

前の若い二人連れの女性は、顔を輝かせて、たぶん、口の動きから、

「おもしろかったよね!」

と、興奮気味に言っている。そう、興奮気味なのが、気にかかった。

エスカレーターで降りる際には、後ろのまた違った女性の二人組が、いかにこの映画が最高だったかを語っている。
前を行くカップルの男のほうは、どうも煮え切らない表情で、何かを女性に語っている。

いったい、何が起きているのだ?
いや、正確には、映画を観た人の中で、何が起きたのだ?

今日、観た映画は『パラサイト〜半地下の家族』である。

パルムドールの最高賞を獲り、しかも、僕の中で韓国映画中圧倒的ナンバーワンの、『殺人の追憶』の監督の作品である。

まず、観ない理由がない。

しかも、数日前から、SNS、特にFacebookでの、女性の評価が極めて高いのだ。『ボヘミアン・ラプソディ』のときも、SNSの拡散から日本で大ヒットした。その予兆が、SNS上で起きていた。

ただ、気になっていたのは、絶賛して、興奮気味にすすめるのがみんな女性だったという点だ。

何が起きているのか、気になって、慌てて観に来た。

結果から言うと、僕にはその興奮の源がわからなかった。

僕の感性にはヒットしなかった。多くの男性たちと一緒だ。
ちょうど、湊かなえ氏の大ヒット作『告白』を読んだときと同じ感覚だった。

ちょっと、やりすぎではないか、と感じた。
逸脱したんじゃないかと。
もっと言ってしまうと、生理的に気分が悪い。
たしかに、物語の構造や描き方や、伏線の回収など、うまくできていると思うんだけれども、『殺人の追憶』にあった、あの得も言われぬ抑制はどこへ行ってしまったのか。

一方で、この作品が僕には反応せずに、ある種類の女性たちには熱狂的に突き刺さり、興奮状態になるだろうとも推察できる。

それが湊かなえ氏『告白』を絶賛する女性たちだろうと思う。

たとえば、パクチーが狂おしいほど好きな人と苦手な人がいるように、この作品は評価ではなく、「感じ方」が分かれるだろうと思う。

そう、作品の優劣では決してない次元で、好き嫌いで分かれると思うのだ。

先ほどのカップルの男性と女性の意見が真っ二つに分かれたように。

それでは、絶賛する女性たちに突き刺さったものとはなんだろう。

正直言って、今こうして書いている今でも、解明できない。

ただし、起きていることはすべて正しいので、おそらく、あの映画に込められた何らかのエッセンスが炸裂したのだろうと思う。そして、そのエッセンスは、僕やカップルの男性のほうには作用しなかっただけだ。作用しなかっただけでなく、生理的に受け付けないような、何かなのだろうと思う。

そこまで考えて、ちょっと怖くなった。

あの『殺人の追憶』(*絶対に観たほうがいいです、やばい映画です)のポン・ジュノ監督は、この僕が未解明のエッセンスを確信的にこの映画に込めたのではないか、と。

あの作品の抑制と、超えてはならないラインを良く知っているポン・ジュノ監督が、そのエッセンスについて無頓着であって、偶然に入れたとは到底考えられない。

彼は、あるどこかの時点で、このエッセンスの謎を掴んだのだ。

そして、僕らのようにまるでそのエッセンスが通用しない人がいるのもわかった上で、この映画を放った。そうとしか思えないのだ。

SNSで拡散していたのは、あまり普段、Facebookを使わない人だったようにも思える。それが、興奮が伝わる文面で、この映画を絶賛し、投稿していた。

一人や二人の話ではない。

彼女たちに、いったい、何が起きたのか。

そして、僕らにはなぜ、起きないのか。

実は、映画や小説などの作品には、やってはいいこととダメなことが、暗黙裡に決められている。その暗黙のルールに則り、作者と読者、鑑賞者はやり取りしている。これが崩される場合、読者や鑑賞者は非常に不愉快に思う場合がある――

あるいは、得も言われぬ興奮を覚える。

フィクションとは、そもそも、嘘の塊である。

どれだけ嘘であっても構わない。
けれども、プロレスで暗黙のルールがあるように、フィクションにもあるのだ。

想像してみてほしい。
本当に本気モードで相手を潰し合うプロレスなんて、誰も観たくはない。

そこには、「抑制」が存在する。

もしかして、その「抑制」を破ることを許せない人と、許せる人がいるのかもしれない。
また、その加減の問題で、ギリギリ許せるラインに、もしかして「快楽」に近い何かが存在するのかもしれない。

それを、ポン・ジュノ監督が、『パラサイト〜半地下の家族〜』で、まるでサッカーのディフェンダーのオフサイドトラップのように、綺麗にラインコントロールしたのなら、どうだろう。

恐ろしい監督ではないか。

恐ろしい作品ではないか。

できるはずもないが、願わくば、1000人が入る映画館で、男女500人ずつを集めて、映画の後に電気が点いたあとに、このラインがどこに存在するのか、アンケートを取ってみたい。一人ひとりにインタビューをしてみたい。

そうすれば、この「ライン」が、「エッセンス」が僕にも見えてくるのではないかと思う。

ぜひ、一人でも多くの方に観ていただき、感想を聞かせてほしい。

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