『1917』は、鑑賞ではなく「体験」すべき映画である。《作品解析/パルス・オブ・アーツvol.002》(*ネタバレしないように努力します)

今、僕はビデオグラファー(動画制作者)になるべく、日々、学んでいる。
そうなると、映画を観る目がまるっきり変わる。

撮影者はどのように撮影しているのか?
どんなテクニックがあるのか?

その視点で観るようになる。

もちろん、演技もストーリーも興味があるが、今回は「撮影」という観点から主に映画を観た。

なにせ、本作『1917』は、”ワンカット撮影”がうたわれている作品だからだ。

んなわけないじゃん。ワンカットで撮影できるわけないじゃん。

最初は半信半疑だった。
たしかに、所々で繋いでいる箇所はあるのだけれども、ほぼ、ワンカットに「思えた」。

撮影監督は『ブレイドランナー2049』でアカデミー賞撮影賞を受賞し、名作『ショーシャンクの空に』など13作以上でアカデミー賞にノミネートされているロジャー・ディーキンスだ。
そして、監督はあの異様な名作『アメリカン・ビューティー』のサム・メンデスだ。

この二人が企てた、全編がワンカットに見える撮影。

これが、凄まじい臨場感を与えたのだ。

ちなみに、「ワンカット」とはどういうことかと言えば、最近のビジネス系YouTuber(イケハヤさんなど)が、ある論点で語る場合は「ワンカット」である。ずっとカメラを回し続けて、ほとんど編集しない。テロップを入れたりして説明を補足する。
ま、これはできる。YouTubeで一つの論点ならば。

ところが、シネマティックなVLOGなどではもう、ワンカットでは済まない。ジンバルで撮った映像やドローンで撮った映像など、様々なカットを組み合わせて、シーンを構成する。

ましては、本物の映画となれば、「ワンカット」で撮るなど、正気の沙汰ではない。
もちろん、本作は完全なる「ワンカット」作品ではなく、正確には「ワンカットに見える作品」である。けれども、効果は十分だった。

僕はグランドシネマ・サンシャインのIMAXレーザーで観たのだけれども、もう、これで観たことを最初の方から後悔した。

正直に告白すれば、怖すぎて途中、目を塞ぎ、身を固めながら観た。耳をじゃっかん塞いだところもあった。

ワンカットに「思える」映画だったので、緊張感が連綿として続き、恐怖が持続した。

これが戦場なのかと、疲労感を覚えた。

そして、絶対に戦争はするものかと思った。絶対に行くものかと思った。
僕は戦争映画やドラマをよく見るが、『プライベート・ライアン』でも『ハクソー・リッジ』でも、ドラマの『バンド・オブ・ブラザース』でも何でも、こんなに恐怖を覚え、疲労したことはなかった。

近い疲労感を覚えたのは、『ラ・ラ・ランド』の大ヒットで世界的に有名になった、デイミアン・チャゼル監督の『セッション』だろうが、それの何倍か疲れた。

本当に、疲れる。
相当にエネルギーを補給して行かなければ、倒れるんじゃないかと思えるくらいだ。

それにも関わらず、クライマックスで主人公が戦場を全力で走るシーンで、僕は涙が堪えられなくなった。

あまりに、壮大。
あまりに、壮麗。

そう、なぜか、美しいと感じたのだ。

全力で生命の尊さを信じ、命を賭しても、多くの命を救おうとする行為は、今を生きる我々が久しく忘れてしまっている「何か」なのかもしれない。

本や映画やテレビで、あるいは父や祖父から聞いて、あることは知っていたが、実感も遂行もできない、「何か」なのかもしれない。

たしかに、個人の自由は尊い。
けれども、それよりも尊い「何か」を信じ、命を賭した人がいた――

いや、今も世界中に、日本にもいるのだろう。

利己的ではなく、利他的に全力で生きる行為は、ある種の美しさを現出させるものだと、僕はこの映画を観て、噛みしめるように確信した。

そして、自分はどう生きているのか。

そう問われる作品のように思えた。

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